【FREE】Tanja Levenque

pawpaw

2010年05月28日 21:20


■Tanja Levenque
<土地情報>
Ferraris Land-Kingdom of Kaliste
Kingdom of Kaliste Meeting Place-Money Tree-Free Linden
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pawpawはOculea SIMで「Tanja Levenque」を見つけました。Tanja Levenqueでは、靴、家具などを販売していました。フリー品がありました。
















http://slurl.com/secondlife/Oculea/38/140/37


北海道の夜行急行 「はまなす」&「利尻」 1996年2月



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降船証明書
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Ship Plymouth, Japan Sea
June 20, 1848

To whom it may concern,

This will certify that Ranald McDonald has been duly discharged from the ship Plymouth, for an adventure to the Japan Islands, and that the boat and apparatus fairly and honestly belong to him.

L. B. Edwards
Master o
f Ship Plymouth
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1948年、日本に憧れたアメリカ青年がいました。その青年の名前はラナルド・マクドナルド(Ranald MacDonald)といいました。マクドナルドは日本へ行く方法を考えました。そしてアメリカの「捕鯨船プリマス」の船員となりました。捕鯨船プリマス」は日本の北海道に来ました。マクドナルドは「捕鯨船プリマス」からボートに乗りかえました。単身、日本の陸地を目指しました。マクドナルドは利尻島に上陸しました。
上記の英語文章は、「捕鯨船プリマス」のエドワーズ船長がマクドナルドのために書いた文章です。おそらく、マクドナルドは不審人物でない事を証明するために書かれたものでしょう。
しかし、アメリカの青年マクドナルドは囚われました。そして長崎の「座敷牢」に収監されました。当時、日本は鎖国をしていました。
森山栄之助(Moriyama Einosuke)という青年が長崎にいました。「森山(Moriyama)」はオランダ語通訳をしていました。マクドナルドと森山(Moriyama)は知り合いました。森山(Moriyama)はマクドナルドから本物の英語を学びました。マクドナルドから学んだ英語は、後日、大変役立ちました。
後年、アメリカやヨーロッパ諸国から開国を要請されました。森山栄之助(Moriyama)は、それらの国との交渉に英語通訳として参加しました。

・上記の文章を書くのにあたっては「下記のブログ」などを参考にしました。
【ことばの広場】吉村昭 『海の祭礼』マクドナルドと森山栄之助「松野町夫氏(翻訳家)」
参考サイトURL
http://langsquare.exblog.jp/11925556/

その後、アメリカ青年マクドナルドの運命はどうなったでしょうか?
切腹 アメリカ帰国 
参考【Wikipedia】Ranald MacDonald
http://en.wikipedia.org/wiki/Ranald_MacDonald


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